今年になって、母の遺した昭和16年の夏休み絵日記帳の後ろの方に、冬休みの絵日記が綴られていたのを発見しました。ページが完全に終わっていたため、まさか数ページ後に冬休みのものが始まるとは思っていませんでした。中国との戦争でいよいよ資源不足に陥っていた頃だったのでしょう。この鍛錬日誌とかかれた日記帳も夏冬一緒に印刷したものだと思われます。
ということで、昭和16年から17年にかけての冬休み絵日記を初めて御披露します。よろしくお願いします。ちなみに母が中学1年生の時のものです。
昭和十六年 十二月二十五日 木曜 晴
いよいよ今日から冬休みだ。今度もいろいろ御手傳が出來さうでうれしい。
朝御座敷のさうぢをして、繪の先生の所へ行く。菊の寫生が出來て今度はクコだ。めんどくさいと思へばそれまでだが、だんだん書けて行くのがたのしみだ。
家へかへると、姉は縁側で靴下カバーを作っているので、私も仲間入りしてこしらへた。あつぼったくてあたたかいのが出來た。母にもこしらへて上げることにする。
夜、母と洋服のなほしをしていると、ラヂオがとつぜん臨時ニュースを發表した。「香港は降伏せり云々……」と。家中思はず萬歳をさけぶ。この感激!日本人のみの知るものである。さう、私達は日本人なんだ。私達はなんといふ幸せなありがたい國に産まれたのだらう。
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